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ピアニスト・コンポーザー蕪木光生の徒然です。

小田原ラブ

来月は、我が愛する小田原での初上陸ライブなのです。

今回は、すてきなウィスパーぼいすの、リュウミホさんがゲスト。

 

小田原は嫁の実家があり、良く遊びに行っていて大好きになった場所なんだよね☺️

 

ぼくはイメージと違って、海が大好き。みずうみも川も。水が好きなのか笑

 

小田原は海にすぐ行けるし、魚は港で水揚げされたものがすぐ食べられて、めっちゃ新鮮で、ものすごい旨い。

 

そして、城下町で品があって、静かで、風が吹いてetc…

 

ま、とにかく好きなんす笑

 

今回の小田原ライブ企画したのも、小田原の皆さんにEPICHの音を聞いてもらいたいのもあったし、メンバーと気持ちの良い小田原で刺身とビールを飲みたかったの笑

 

銀の椅子さんは、とてもアンティークで雰囲気がすてきな店だよ。

 

ぜひ、いらしてくださいね😉

 

 

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「EPICH × RYU MIHO LIVE IN ODAWARA」

2019.5.11(土)

@cafe 銀の椅子

神奈川県小田原市栄町3丁目2−25

tell:0465-23-4600

https://kabukimitsuo.wixsite.com/piano/liveinfo


open:15:00   

1st:15:30    

2nd:17:00  

ticket:  ¥3,000


蕪木光生(p,comp)

古木佳祐(b)

鈴木カオル(ds)

ゲスト:リュウミホ(vo)


ご予約はepichstaff@gmail.comまで

 

最後に、小田原の海f:id:kabukimitsuo:20190421163010j:image

僕の話9

9/8にレコーディングをして、リリースは来年の2月に決まった。

 


ずーっとCDを出したかったのだけど、10年くらい色んな難があり、決行できなかったので、本当に感慨深かった。

 


というよりも、今でも自分が音楽を続けて、CDリリースできるのが不思議でならなかった。何回も危機はあったから。

 


2年経った今聴くと、殆ど指動かないレベルから半年で良くここまで持ってきたな😅っていう気持ちと、

あー💦全然弾けてないから恥ずかしくて死にたい😭

 


っていう気持ちが両方。

もちろん、ちゃんと練習できる環境が出来たから、今の方が全然上手い。

 


でも、背水の陣で必死に持っていった執念みたいなものも、音に現れてて面白い笑

 

 

 

今は演奏スタイルや、書く曲の色もだいぶ変わってきた。

 


歌を取り入れたのも多いし、ほかの楽器のために書いた曲もたくさん。

 


次のアルバムも、ほんとはスグにでもだしたいんだけどね。

 


まだ、機が熟してないからね。

 


ま、ともかく、色んなヒトやコトに守られて、初めてEPICHというアルバムを世に出せて。そしてここから次の挑戦がはじまるのです

 


続く

僕の話8

レコーディング。

 


三十路半ばすぎて初めてのリーダーアルバム。

 


遅すぎるけど、やらねばならない。と、思って。

 


防音室とともに、新生活が始まったのが2月。

 


そして、レコーディングの日は9/8に決めた。

 


さぁ、あと半年ちょっとしかない。しかも、ほとんどピアノに触れてない数年間だったから、ろくに指も動かない。もー素人レベル笑

 


でも、ゴールを決めたから、やるしかない。ってことで、

 


まず、クラシックの先生に基礎の指使いを習いに行った。今更だけど。

 


そんで、あとはとにかく練習。練習。練習。

 


ま、仕事と、家庭と育児と、生活と、いろんなことのある中で練習するのも大変だったけど、時間を絞り出すように、練習した。

 


リハとか、ジャケットの打ち上わせとか、流通のこととか、構成とか、やることは山ほどある。

 


大変だったけど、沢山の人が協力してくれた。

 


そして、9/8にレコーディングをした。

1日で11曲を取る強行軍だったけど笑

(予算の関係で💦)

 


続く

僕の話7

さあ、息子が産まれて。

 


なんとかV字回復したものの、まだなんとか生活できるくらいに戻ったのでしか無い。

 


ここから勝負にでなきゃ、と。

ピアノは相変わらず練習できる環境に無かったので、思い切って防音室を買った。

 


たまったま、某楽器屋で防音室フェアをやっていたのを見つけて。直ぐに見に行って。

 


80万だった。手元に40だけあったので、半分キャッシュで払って、残りはその時のキャンペーンで金利無しだったので、20回の分割。

 


んで、防音室買ったにはいいけど、おける家が無い笑

 


物凄く物凄く探して、なんとか住める範囲内で、防音室可な物件マンションが一件だけ見つかって。

 


もー、直ぐに見に行って笑。

 


防音室、引っ越し代、ピアノ運搬代、もーいくらかかったんだろう…😅

 


そのときは手持ちが無かったので親戚に頭を下げてお借りして。

 


先に1月に引っ越しをして、嫁の育休がなんとか4月に出たので、ギリギリ返済をし。

 


さぁ、新居で全てゼロからのスタート。

 


ここで、また、未来のために勝負にでる。

 


自分のCDをレコーディングしよう!と。

 


続く

僕の話6

この時、本当に腹決めた。

 


もし、子供が産まれるまでにどうにもならなかったら、潔くやめよう  って。

 


ホントに決めた。

 


そう決めたのが、四月。

 


そこからなぜか、奇跡が。

 


毎月バブルのように新規の生徒さんやお仕事が入ってくる。

 


産まれる12月までに、決めていた水準にならなかったら辞めると決めていたのだけど、この時ばかりはホントにバブルなんじゃないかってくらい、仕事が増えて行った。

もちろん、自分の大変な状況なんて、誰にも相談してない笑

 


嫁と、ちょっとこの確変っぷり、怖いくらいだね、って話してた。

 


そんで12月。奇跡のV字回復をした。

 


続く

僕の話5

30代、一つ人生が大きく変わったのは、結婚したこと。

 

そして、息子が産まれたこと。

 

この二つは、嬉しいのと同時に、物凄い試練もあった。

 

この二つと同時期に、色々な事情でピアノが弾けない状況になり。

例によって、理由はオフレコですが😅

 

子供の事で経済的にも色々必要になるし、嫁が育休に入ると給料どうなるかまったく不明だったし

 


なによりも、ピアノが練習できなくてどんどん下手になっていくのが自分でもわかったし、周りにもわかっていった。そんで、仕事もどんどん減っていった。

 


自分のピアノがあるけど弾くことができなくて、でも練習しないといけない。でも練習するにはスタジオ行って借りて弾かないと。でも仕事減って減って、その金銭的余裕がない。

みたいな、負のスパイラル。

 


こん時が、人生で1番苦しかったなぁ。

 


まじで、音楽辞めるか?嫁親戚に迷惑かけたくないから、離婚するか?と、頭おかしくなっちゃって。

 


そもそも23からピアノ始めてピアニストになろうなんて、到底無理な話だったんじゃないのか?

 


大学の同期は皆ちゃんと会社に勤めて、家買って、子供いて、良い車乗って、

 


一緒に音楽頑張ってた仲間もみんな足洗って、

 


もう諦めた方がいいんじゃないか?

 


もう1人でどうのこうのしている歳じゃな

いんだよ?

 


毎年若くて物凄く上手い若手ミュージシャンが山ほど出てくるんだよ?

 


って、絶望感がすごかった。(誰も読みませんように笑)

 

この時、三十路半ば過ぎ、まだ自分のCDをリリースしたこともない。

 


続く

僕の話4

http://kabukimitsuo.hateblo.jp/entry/2017/07/08/125237

この続き。だいぶ空いちゃったなあ。

 

30歳。このとき大きく落ち込むことがあった。内容はまだ書けないけど笑、そのうち時効が来たら書こうかなぁ

 

正直、三十路になるという事で、色々賭けていたものがダメになり、生活も厳しく 色々考える事があって、音楽辞めようかな、と真剣に思った。

 

その時年末。本年度末の三月までに答えを出そうと思ってた。

 

何も起こらなかったら、ホントに辞めようと思って。

 

まー、神様か仏様から、まだ辞めるなと声がかかって。

 

年度末に、某大手音楽教室から、講師にならないかと話があった。まさに寝耳に水。

 

何も起こらなかったらホントに辞めようと思ってたから、これは続けなさいという事かな、

と思って。その音楽教室に勤め出す。

 

四年以上はそこで勤めたかな。その間に、個人としての音楽のお仕事も少しずつ増え、ずっとやっていた肉体労働のバイトもやめた。

 

一応、音楽系の仕事だけで生活できるようになった時は、嬉しかったなぁ。

 

まーほぼ実家にいるようなものだったので、生活できたようなもんだけどね。

 

ちょっとずつ経済的にも余裕が出てきて、ローンを組んでグランドピアノを買った。

 

33歳でどうしても車が必要になり、10年以上ペーパードライバーだったのだけど、教習所のペーパードライバー講習ってのを受けて、親父の車を借りて運転を始めた。

 

何回もぶつけてボコボコにしてさ笑。

修理代で何十万もかけたなぁ。

 

んで、はじめて自分の車を34歳で中古で持った。中古だったけど、それはそれは嬉しかったんだよ。

 

まー、このブログを誰も見てないことを願って、ありのままに書きますぞ汗